・・・ブログ更新ストップしたまま
だんまりを続けた私の長い1年と7か月の空白。
昨年の8月14日深夜にぴーが亡くなりました。享年14歳。
ピーは春先から体重減少が著しく、ついに餌を食べなくなってから
7日もの絶食の後、大好きなサンルームの窓際に横たわり、静かに息を引き取りました。
近年の猫の寿命は延びていて
「18歳まで生きた子がいる。20歳までも生きられる。」と聞けば、
病気を克服してピーもにもそうなってほしいと願っていた。
癌と診断されてからの1年と8か月はぴーの為だけの毎日だったかもしれない。
夫曰く、「こいつが死ぬか、私が倒れるか、お前が倒れるかだった。」
夫の言葉どうり、まさに異常な介護と看病に明け暮れる毎日だったと言う事なのだろう。。
7日もの絶食でガリガリになりながらも生きようとするピーの姿が目に焼き付いて離れず、
意識がなくなるまで私を呼び続けた声がいつまでも消えなかった。
私は早いうちに病気を見つけてあげられなかった事や
延命治療を選択しなかった自分を責め続け、
一人、部屋の隅にうずくまり、声を殺して来る日も来る日も泣き続けた。、
体は正直だった。
ピーが亡くなった後、 私の心と体はボロボロ。
ストレスでただれた胃は酷い歯肉炎をおこし、
口の中の出血は何日も止まらなかった。
おぼつかない足取りで転んでしまった時の腕の傷跡の化膿も同様だった。
マイコプラズマ肺炎らしき症状の咳が3か月も続いた後、
ついには食べ物の味がしなくなり、
灰色の世界で死んでいく自分のイメージ―ばかりが頭に浮かんでは消える毎日。
「これっていわゆるペットロスだよねぇ。まさに鬱の症状だよねぇ」。
「あなた、ピーの死を受け入れる物を見つけなければだめになるよ。」
救いは冷静なもう一人の自分の存在だった。
そんな時、「不食」をテーマ―にした講演を聞きに行こうと誘われた。
彼女は白血病を克服し、みごと腎臓移植を成し遂げたお孫さんを持つセラピーの仲間。
次回へ・・